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先生のお庭番

『先生のお庭番』
朝井まかて、徳間文庫、2014年6月
 (徳間書店 2012年)

日本経済新聞のブックレビュー(2016年10月7日)に文芸評論家 縄田一男は以下のように記し、文庫本の解説にもほぼ同内容のことを書いている。

 読後、心が静かに慰められ、人間の美しさに改めて思い至る――これはそんな小説だ。多分、文体の持つ温度が絶妙だからだろう。
 物語はシーボルトと彼の薬草園の園丁(えんてい)=お庭番となった熊吉の4年間にわたる交流を描いたもので、これにシーボルトの日本人妻等が絡む。
 たとえば、シーボルトが熊吉と馬に乗り、稲佐山からの景色を眺めつつ、日本の自然を「私が生まれた国の春はな、これほどの色を持たぬのだ」とも「この地の花木、草花の株を生きたまま母国に運ぼうと思う」ともいう場面に接すると、読んでいる己が身が浄化されるような気持ちになる。
 それはこの一巻の扱っているテーマが、実は歴史の一コマではなく、現在、私たちにとって最も切迫したテーマ“エコ”であるからに他ならない。


 縄田の言う“エコ”が何をさすのか分かりかねるが、書評とはこんなものなのだろうと勝手に思う。本の面白さというのは読者によってそれぞれ違うのだと今更ながら思う。

 TNは、朝井まかての本が気に入っている理由を< 一番良いのはカタカナ語が一切出てこないこと。時代物/歴史物ばかりということだけでは無いと思う。古文の香りがするなめらかな日本語が良い。時代物/歴史物ということからか、そうなんだ・そうだったんだという発見が多く楽しい。大阪弁をこれだけ自然に書ける作家を他に知らない。庭の花や樹木だけでなく野の花の描写も、よく知っているなと思わせる。登場人物を見る目が優しい、などなど、TNの好きな順ではかなり上に来る作家の一人になりました。>と掲示板(2016年10月 6日)に書いている。

一番良いのはカタカナ語が一切出てこないこと。
 シーボルトを扱っていればカタカナ語も出てくるだろうと思うが、オランダ、イギリスやラシャ(羅紗)がフリガナとして出てくることと、主人公熊吉を「コマキ」としたりシーボルトの妻「お滝さん」を「オタクサ」としたり、如何にも異国人らしい言葉遣いにカタカナを使うだけだった。そしてそれはなかなか効果的でした。

 花や樹木は全て和名で漢字、見事なものです。

時代物/歴史物ということからか、そうなんだ・そうだったんだという発見が多く楽しい。
 シーボルトは草木の標本だけではなく、実物までもオランダに持ち込もうと努力したんだ・・・。
 私の知識では、シーボルト-紫陽花-七段花は連想ゲームのように連なっている。
 シーボルトが紫陽花の新種に名付けたオタクサは「お滝さん」からきているという。こういう楽しい歴史発見が朝井まかての本にはいくつもある。この愛情溢れるエピソードもこんな嫌みにも使われることがある。「牧野は学会誌上で『シーボルトはアヂサイの和名を私に変更して我が閨で目じりを下げた女郎のお滝(源氏名は其扇(ソノギ))の名を之れに用いて大に其花の神聖を涜した、脂ぎった醜い淫売夫と艶麗な無垢のアヂサイ、此清浄な花は長へに糞汁に汚されてしまった、あ、可哀想な我がアヂサイよ』と激しく非難したと伝えられる(澤田武太郎、植物研究雑誌、第4巻第2号、43-46頁、1927年)。」

大阪弁をこれだけ自然に書ける作家を他に知らない。
 今回は、長崎弁、残念ながらTNには長崎弁がでるたびに話の流れが止まってしまう。きっと登場人物のしゃべる長崎弁は自然なものなのだろうとは思うのですが。小説の中の方言というのは難しいですね。


庭の花や樹木だけでなく野の花の描写も、よく知っているなと思わせる。
 
 植物をよく知っているのは、『先生のお庭番』を読めば納得です。シーボルトの「日本植物誌」や「日本の植物」を読みこみ、それを小説に書ける人でした。

 『先生のお庭番』で最もTNが吃驚したのは、日本の植生の豊かさについて、第五章で弟子(?)の髙野長英らに説明する場面である。「数十万年前、地球は氷に覆われていた」とシーボルトがいうと、髙野長英が日本列島はアジア大陸の一部だったと推測したことが事実かのように描かれている。シーボルトの時代に地球に氷河時代があったことは知っていたかも知れないがや、日本列島とアジア大陸を分離した日本海拡大が知られているはずがない。朝井まかては、今の地球科学の考え方もさらっと歴史小説に組み込む力がある、凄いなと感動! シーボルトに「島国には地揺れが多い。その地揺れによって、元は1つだった陸地が分かれた。」と説明させる。そして「氷河によって死に絶えた草木のほとんどが、このやぽん(日本)に生き残っているという奇跡だ。この国は孤島になったがゆえに、地上最後の桃源郷であり続けている。」と感動的に結ぶ。


登場人物を見る目が優しい
 シーボルトの薬草園の園丁(えんてい)=お庭番となった熊吉を通して、結構好き嫌いが分かれるシーボルトを描いている。読んでいるうち熊吉と同じように、シーボルトの良いところも悪いところも全部そのまま受け入れている自分に気付く。自分の中でばらばらだったシーボルト像がはっきりと1つになったように感じてしまう。

 朝井まかての筆力だと思う。
 
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