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伊吹山から見える山々

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トラツグミ [野鳥]

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シロハラ
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ツグミ
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ヒヨドリ
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アトリ
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先生のお庭番

『先生のお庭番』
朝井まかて、徳間文庫、2014年6月
 (徳間書店 2012年)

日本経済新聞のブックレビュー(2016年10月7日)に文芸評論家 縄田一男は以下のように記し、文庫本の解説にもほぼ同内容のことを書いている。

 読後、心が静かに慰められ、人間の美しさに改めて思い至る――これはそんな小説だ。多分、文体の持つ温度が絶妙だからだろう。
 物語はシーボルトと彼の薬草園の園丁(えんてい)=お庭番となった熊吉の4年間にわたる交流を描いたもので、これにシーボルトの日本人妻等が絡む。
 たとえば、シーボルトが熊吉と馬に乗り、稲佐山からの景色を眺めつつ、日本の自然を「私が生まれた国の春はな、これほどの色を持たぬのだ」とも「この地の花木、草花の株を生きたまま母国に運ぼうと思う」ともいう場面に接すると、読んでいる己が身が浄化されるような気持ちになる。
 それはこの一巻の扱っているテーマが、実は歴史の一コマではなく、現在、私たちにとって最も切迫したテーマ“エコ”であるからに他ならない。


 縄田の言う“エコ”が何をさすのか分かりかねるが、書評とはこんなものなのだろうと勝手に思う。本の面白さというのは読者によってそれぞれ違うのだと今更ながら思う。

 TNは、朝井まかての本が気に入っている理由を< 一番良いのはカタカナ語が一切出てこないこと。時代物/歴史物ばかりということだけでは無いと思う。古文の香りがするなめらかな日本語が良い。時代物/歴史物ということからか、そうなんだ・そうだったんだという発見が多く楽しい。大阪弁をこれだけ自然に書ける作家を他に知らない。庭の花や樹木だけでなく野の花の描写も、よく知っているなと思わせる。登場人物を見る目が優しい、などなど、TNの好きな順ではかなり上に来る作家の一人になりました。>と掲示板(2016年10月 6日)に書いている。

一番良いのはカタカナ語が一切出てこないこと。
 シーボルトを扱っていればカタカナ語も出てくるだろうと思うが、オランダ、イギリスやラシャ(羅紗)がフリガナとして出てくることと、主人公熊吉を「コマキ」としたりシーボルトの妻「お滝さん」を「オタクサ」としたり、如何にも異国人らしい言葉遣いにカタカナを使うだけだった。そしてそれはなかなか効果的でした。

 花や樹木は全て和名で漢字、見事なものです。

時代物/歴史物ということからか、そうなんだ・そうだったんだという発見が多く楽しい。
 シーボルトは草木の標本だけではなく、実物までもオランダに持ち込もうと努力したんだ・・・。
 私の知識では、シーボルト-紫陽花-七段花は連想ゲームのように連なっている。
 シーボルトが紫陽花の新種に名付けたオタクサは「お滝さん」からきているという。こういう楽しい歴史発見が朝井まかての本にはいくつもある。この愛情溢れるエピソードもこんな嫌みにも使われることがある。「牧野は学会誌上で『シーボルトはアヂサイの和名を私に変更して我が閨で目じりを下げた女郎のお滝(源氏名は其扇(ソノギ))の名を之れに用いて大に其花の神聖を涜した、脂ぎった醜い淫売夫と艶麗な無垢のアヂサイ、此清浄な花は長へに糞汁に汚されてしまった、あ、可哀想な我がアヂサイよ』と激しく非難したと伝えられる(澤田武太郎、植物研究雑誌、第4巻第2号、43-46頁、1927年)。」

大阪弁をこれだけ自然に書ける作家を他に知らない。
 今回は、長崎弁、残念ながらTNには長崎弁がでるたびに話の流れが止まってしまう。きっと登場人物のしゃべる長崎弁は自然なものなのだろうとは思うのですが。小説の中の方言というのは難しいですね。


庭の花や樹木だけでなく野の花の描写も、よく知っているなと思わせる。
 
 植物をよく知っているのは、『先生のお庭番』を読めば納得です。シーボルトの「日本植物誌」や「日本の植物」を読みこみ、それを小説に書ける人でした。

 『先生のお庭番』で最もTNが吃驚したのは、日本の植生の豊かさについて、第五章で弟子(?)の髙野長英らに説明する場面である。「数十万年前、地球は氷に覆われていた」とシーボルトがいうと、髙野長英が日本列島はアジア大陸の一部だったと推測したことが事実かのように描かれている。シーボルトの時代に地球に氷河時代があったことは知っていたかも知れないがや、日本列島とアジア大陸を分離した日本海拡大が知られているはずがない。朝井まかては、今の地球科学の考え方もさらっと歴史小説に組み込む力がある、凄いなと感動! シーボルトに「島国には地揺れが多い。その地揺れによって、元は1つだった陸地が分かれた。」と説明させる。そして「氷河によって死に絶えた草木のほとんどが、このやぽん(日本)に生き残っているという奇跡だ。この国は孤島になったがゆえに、地上最後の桃源郷であり続けている。」と感動的に結ぶ。


登場人物を見る目が優しい
 シーボルトの薬草園の園丁(えんてい)=お庭番となった熊吉を通して、結構好き嫌いが分かれるシーボルトを描いている。読んでいるうち熊吉と同じように、シーボルトの良いところも悪いところも全部そのまま受け入れている自分に気付く。自分の中でばらばらだったシーボルト像がはっきりと1つになったように感じてしまう。

 朝井まかての筆力だと思う。
 
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恋歌 朝井まかて

『恋歌』
朝井まかて、講談社文庫、2015年

 初めて読む作家の本、大阪出身の女性&直木賞受賞作というのに惹かれ読みました。凄い本だと感動です。しばらくこの作家の本を追いかけると思います。

 講談社BOOK倶楽部に紹介されたあらすじは「明治の歌塾「萩の舎」で樋口一葉の姉弟子に当たる三宅花圃が目にした手記には、師である中島歌子の心の声が刻まれていた。人気歌塾の主宰者として一世を風靡し多くの浮き名を流した歌子は何を思い、胸に秘めていたのか。中島歌子は、幕末の江戸で熱烈な恋を成就させ、天狗党の志士に嫁いで水戸へ下った。だが、尊皇攘夷の急先鋒だった天狗党はやがて暴走する。内乱の激化にともない、歌子は夫と引き離され、自らも投獄され、過酷な運命に翻弄されることになる。

“君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ”
代表歌に込められたあまりにも切ない真情。そして、歌子が下したある決断とは──。」です。
 三宅花圃の役割が読んでいるときはあまりピンとこなかったのですが、読み終わった今は話の流れを整理する重要な役割として不可欠の人だったのだと納得しています。
 主人公の中島歌子の壮絶な人生をハラハラドキドキしながら読みました。幕末から維新という激動の時代に水戸藩の人達がどう生きたのかここまで克明に描いた本はこれしか無いと思います。そして、「勤王攘夷」という時の流れに振り回された日本の実体を、ここまでリアルに描いた本を初めて読んだような気がします。


(http://prizesworld.com/naoki/jugun/jugun150AM.htm)

朝井まかて(あさい・まかて)

昭和34年/1959年生まれ、直木賞受賞年齢 54歳、経歴 大阪府羽曳野市生まれ。甲南女子大学文学部国文学科卒。広告制作会社を経てコピーライターとして独立。平成20年/2008年に小説現代長編新人賞奨励賞を受賞して、作家デビュー。

第3回小説現代長編新人賞[奨励賞](平成20年/2008年)「実さえ花さえ、この葉さえ」本屋が選ぶ時代小説大賞2013(平成25年/2013年)『恋歌』
第150回直木賞(平成25年/2013年下期)『恋歌』
第31回織田作之助賞(平成26年/2014年)『阿蘭陀西鶴』
第3回Osaka Book One Project(平成27年/2015年)『すかたん』


(http://coffeeandchocolate.hatenablog.com/entry/2014/02/05/183657)

第150回直木賞(2013) 『恋歌』 朝井まかて著 あらすじ(ネタばれあり!注意)

 幕末の江戸。主人公の中島歌子は実在の人物で「たけくらべ」で有名な樋口一葉に和歌を教えたことで知られる。
 中島登世(歌子の昔の名前)は江戸の宿屋、池田屋の娘として生まれる。池田屋は水戸の御定宿の指定を受け、繁盛を極めていた。
名のある商家の娘として暮らしていた登世は、ある日林忠左衛門以徳という剣士と出会う。怒りっぽい、理屈っぽい、荒っぽいの”三ぽい”と陰口をたたかれる水戸者のなかで、静かで美しいその剣士は登世に淡い恋心を抱かせた。ある事件が元で登世と林は再開する。登世は自分の恋心をはっきりと意識し、数多く持ち込まれる縁談も気が進まない。登世の母は、そんな登世の気持ちも知った上でたくさんの縁談を持ち込んでいたのだった。 そんなある日、桜田門外の変が起きる。林はけがをしており襲撃に参加できなかった。再び会うことができた二人は結婚を決める。
 登世は水戸へ嫁いだ。尊皇攘夷がお家芸の水戸藩も一枚岩ではなく、天狗党と諸生党が対立し、一触即発の状態だった。攘夷を実行に移すべく天狗党の一員、藤田小四郎(藤田東湖の四男)が中心になって天狗党の乱がおきる。天狗党の一党が弾圧される中で、歌子は夫と引き離され、自らと義妹も投獄され、過酷な運命にさらされる。
 牢から出ることができた登世と義妹てつは、危険を覚悟で水戸を出奔する。身一つで水戸を出た二人は登世の母を頼り、名前を変えて江戸に居を構える。
 歌人としての修行を開始し、十年ほど経過するころには歌壇に認められ、家塾を開き、名前も「う多」と変えた。 ある日、出奔したう多(登世)と義妹てつを案じて、天狗党の仲間がう多を訪ねてくる。生死のわからなかった登世の夫、林以徳は戦病死していた。 老境を迎え、歌は病の床に就いた。う多には妙な心がかりがあった。若いころから使えてくれた使用人の澄と、天狗党を弾圧した首謀者である市川三左衛門の娘のことである。後年天狗党は名誉を回復し、諸生党に血を血で洗うような復讐を行っていた。首魁である市川三左衛門は捕えられ、妻子まで処刑されていたが、一人だけ娘の行方がわからなくなっていた。もしかして、同一人物ではないだろうか。う多はその遺言状で、天狗党と諸生党の復讐の連鎖にけじめをつける。

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『ブラック・ジャックは遠かった―阪大医学生ふらふら青春記―』 [読書]

『ブラック・ジャックは遠かった―阪大医学生ふらふら青春記―』
久坂部羊、新潮文庫、2016年2月

 最近、図書館で必ず探すのは「原田マハ」と「久坂部羊」、未読の本が見つかれば各1冊づつ借りている。今、原田マハの『翔ぶ女』と久坂部羊の『第五番』を借りている。どちらも面白かったのですが、感想を書く気分にはならない。

 偶々、本屋で『ブラック・ジャックは遠かった―阪大医学生ふらふら青春記―』を見つけ買ってしまった。
 久坂部はTNより一回り若いが(1955生)、大阪で生まれ育ち、大阪大学医学部卒なので育ってきた環境が近いと前から感じていたのでその青春記を読みたくなったのかな。

 高校時代から小説家になりたかったらしい。親に「小説家になりたいので文学部に行きたい」というと「そんなところに行っても食べられへんから、とりあえず医者になっとけ」「医者になってからやったら、いくらでも好きなことができるから」と言われたという。大阪の開業医一家らしいやりとりに呆れます。そしてYMCA予備校(阪大生にとっては馴染みの名門予備校)を経て阪大医学部に。

(新潮社のHPにある内容紹介)
 手塚治虫の母校、『白い巨塔』の舞台としても知られる大阪大学医学部。アホな医学生にとって、そこは「青い巨塔」だった。個性的すぎる級友たち、さまざまな初体験、しょうもない悩み。やがて解剖実習を体験し、研修医として手術に立ち会うことに。若き日に命の尊厳と医療について悩み、考えたことが作家・久坂部羊(くさかべよう)の原点となった。笑いと深みが絶妙にブレンドされた青春エッセイ!

 TNにとっては興味深く読めましたが、久坂部フアンか大阪育ちの阪大卒でなかったら、久坂部の妻が言うようにまったく面白くないものかもしれないな?と思います。

 阪大にどっぷりつかっている時には何も見えなかったのですが、ちょっと離れてこんな本を読むと阪大気質というか雰囲気がよく見えてきます。久坂部の不良学生ぶりにも特にびっくりすることもなくよく似たタイプの昔の仲間のことを思い出したり、教養部のころの待兼山での生活が思い出されます。

 特に印象に残ったことだけ書き出します。
 
久坂部は絵が好きで自分でも絵を描くらしい。
 行きつけの喫茶店で久坂葉子(芥川賞の候補になったが、二十一歳で阪急六甲で飛び込み自殺した女流作家)が書いた絵を見つけ久坂に強く惹かれる。色々あって久坂葉子のおっかけを続け、その師だった茨木市在住の富士正晴にもコンタクトをとる。その縁で富士が主催する同人誌にも参加する。この話は「久坂部はのめり込んだら一直線」という感じが良く出ていて好きです。
 ここで久坂部羊というペンネームが久坂葉子に由来することと、「久家」(くげ)という本名と母の旧姓「坂部」を合わせたモノと明かす。「羊」は未年生まれからということらしい。

 既読のいくつかの著作から著者の本音かも知れないなと思う考え方について、自伝なら正直に出てくるだろうと期待していた。それは「病院に行かない選択もある」「七十歳以上は病院に行かない方が良い」というような考え方ですが、どうやら本音らしい。面白い医者だなとまた好きになった。

 人を観察するだけでその人の健康状態が分かってしまい、医療による結果や余命まで分かってしまう医者が例えば『第五番』などに登場します。多分、久坂部もそのようなタイプの医者なのだろうと思われます。それは研修医になってからもずっとエリートの医者ではなく、どちらかと言えば患者目線で医療を観察し続けた成果(?)なんだろうなと思います。

 小説としてはなにか尻切れトンボでおわる作品が多い久坂部ですが、この自伝を読んでいままでより更に好きになった感じです。

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小倉昌男 祈りと経営 [読書]

『小倉昌男 祈りと経営
ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』

森 健、小学館、2016年1月

本の内容(小学館のHP http://www.shogakukan.co.jp/books/09379879
「宅急便」の生みの親であり、ビジネス界不朽のロングセラー『小倉昌男 経営学』の著者として知られる名経営者は、現役引退後、私財46億円を投じて「ヤマト福祉財団」を創設、障害者福祉に晩年を捧げた。しかし、なぜ多額の私財を投じたのか、その理由は何も語られていなかった。取材を進めると、小倉は現役時代から「ある問題」で葛藤を抱え、それが福祉事業に乗り出した背景にあったことがわかってきた――。

著者は丹念な取材で、これまで全く描かれてこなかった伝説の経営者の人物像に迫った。驚きのラストまで、息をつかせない展開。第22回小学館ノンフィクション大賞で、賞の歴史上初めて選考委員全員が満点をつけた大賞受賞作。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森 健
1968年1月29日、東京都生まれ。ジャーナリスト。92年に早稲田大学法学部卒業。在学中からライター活動をはじめ、科学雑誌や総合誌の専属記者で活動。96年にフリーランスに。2012年、第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。15年、『小倉昌男 祈りと経営―ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』で第22回小学館ノンフィクション大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 久しぶりのノンフィクション、著者も全く知らなかったのに読みたいと思ったのは毎日新聞(2016年3月6日)の「今週の本棚・本と人」を読んでのことです。そのままコピペします。
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 誰もが知っている人の、誰も知らない話を書く。評伝の醍醐味(だいごみ)を堪能させてくれる。

 「小倉さんについて書かれた本はたくさんあって、当初は本になるという確信はなかったんです」。主人公は官の規制に挑み「宅急便」を創設。物流革命を遂げた名経営者として知られている。関連書は確かに多い。晩年、障害者福祉にばく大な私財を投じたことも、一部で知られてはいる。「でも、その理由についてハッキリ書かれたものがなかった」。さらに最晩年の行動も謎だ。80歳の高齢に加え病気を抱えてなおアメリカに渡り、そこで永眠した。「なぜそこまでして渡米したのか」という疑問が残った。また小倉をよく知る人たちに取材すると「(それまで小倉を書いた本は)ちょっと違うんだよね」といった感想を聞いた。「語られていない言葉、書かれていない事実がある」と確信を持った。

 北海道、静岡、新潟。そしてアメリカ。行くべき場所に行く。会うべき人に会う。基本だがなおざりにされがちな、ノンフィクションの手順を踏む。ロードムービーをみるようであり、謎に迫っていく過程はミステリーのように読者を引きつける。

 最愛の妻の死。「心臓の発作で急逝」したはずだったが、事実は違った。家庭内のトラブル。他人にはおよそ話しそうにない家庭内の問題が、当の家族の言葉から明らかになっていく。

 東日本大震災のあと、100近い家族に取材。それをもとに発表した『「つなみ」の子どもたち』で2012年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。相手の心を開かせ、尋常な聴き手では引き出せないような話を得る取材力には定評があり、今回も十全に発揮された。第22回小学館ノンフィクション大賞を受賞。選考委員5人の満場一致、しかも全員満点と前代未聞の評価を得た。

 「『つなみ』は子どもたちがもらった賞。今度は自分が、という気持ちはありました」。出版冬の時代と言われて久しい。ことにノンフィクションは氷河期のように冷たく、暗い。しかし熱を発する確かな光源があることを、本作で教えてくれた。<文と写真・栗原俊雄>
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 期待したとおりの素晴らしい本でした。

 佐川急便は違法営業の摘発を逃れるため金丸信に多額の献金をしていたが、クロネコヤマトは政治家は使わず行政訴訟をしてまで官僚と闘ってきた、というような事柄が素直に納得出来る。ただ小倉が「宅急便」のシステムを作り上げる動機の一つに佐川急便の「飛脚の精神」があったことなど面白いなと思う。
 宅急便のシステムを完成させ大成功した実業家が引退した後、福祉事業にのめり込む、小倉のその動機を探るのが本書の主題だった。
 多数の関係者に取材し、最愛の妻、娘がいわゆる「鬱病」であったことを明らかにしている。読むのがつらい。それでも最後まで読まされる。敬虔なカトリック信者が自殺にまで追い込まれる苦悩、80歳になって死を見据えての渡米。あまりに多くのことを考えさせられ読後感が重い。

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久坂部 羊の『悪医』 [読書]

『悪医』
久坂部 羊、朝日新聞出版、2013年11月7日

朝日新聞出版のHP(http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15403

 現役の医師でもあり作家でもある著者が、満を持して取り組んだ「悪い医者とは?」を問いかける感動の医療長編小説。
 がん治療の拠点病院で、52歳の胃がん患者の小仲辰郎はがんが再発したあと、外科医の森川良生医師より「これ以上、治療の余地がありません」と告げられた。「私にすれば、死ねと言われたのも同然」と、小仲は衝撃のあまり診察室を飛び出す。
 小仲は大学病院でのセカンドオピニオンを断られ、抗がん剤を専門とする腫瘍内科、免疫細胞療法のクリニック、そしてホスピスへ。それぞれの場所で小仲はどんな医師と出会うのか。
 一方、森川は現在の医療体制のもと、患者同士のいさかい、診療での「えこひいき」問題など忙殺されるなか、診療を中断した小仲のことを忘れることができず、末期がん患者にどのように対したらよいのか思い悩む日々がつづく。
 患者と医師の間の溝ははたして埋められるのか。がん治療に対する医師の本音と患者の希望は軋轢を生み、物語は運命のラストへと向かう。ひくにひけない命という一線を、患者と医師双方の切迫した事情が迫真のドラマを生み出す問題作。


 第3回 日本医療小説大賞受賞作だって。
 久坂部の本に慣れてきたためか読みやすいし、内容も上の紹介文通りで単純明快で、どう結論を持ってくるのかなという期待感だけで読み進められる。しかし、結末はいつもの久坂部でなんか極めて常識的なものでした。

 昨日、震度7の熊本地震が発生し、今日はそのニュースばかり。不意打ちの天災で奪われる命、癌で奪われる命などいろいろ考え、自分の死に方はどうなのだろうと。少なくとも癌で余命宣告されたら、たぶん無治療を選びたいと今は思っている。

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原田マハの本 2

原田の本、4冊目と5冊目です。

でーれーガールズ
原田マハ、祥伝社、2011年9月

(Amazonの商品内容紹介)
 漫画家の小日向アユコ(本名・佐々岡鮎子)は30年ぶりに高校時代を過ごした岡山県にやってきた。母校の女子高で講演会をするためだ。 講演会前々日、この機会にと高校の同級生たちが同窓会を開いてくれた。そこでアユコは30年ぶりに親友の武美と再会する。武美は母校の教師になっていた。アユコを招いたのも武美だという。実は30年前、アユコと武美には忘れられない思い出があった。 1980年、岡山――。東京から引っ越してきたばかりの佐々岡鮎子はクラスに友達がいない。心の支えは、かっこよくてギターもうまい大学生の彼、ヒデホくんだった。ところが、二人を主人公に描いた恋愛マンガを、クラスの秋本武美に見られてしまう。美人で勝気な武美に、鮎子はいつもからかわれていたのだ。しかし、武美は物語の続きを読みたがって……。かけがえのない友だちに会いたくなる、感動の物語。

(ウィキペディア)
 作品の舞台となった岡山県岡山市は、著者である原田にとっては思春期を過ごした場所でもある。特に本作の主人公たちが通う学校は、原田の母校である山陽女子高等学校がモデルとされており、そのため2015年の映画版では同校が特別協力団体のひとつに名を連ね、それが強調された演出がとられている。



 岡山弁が主要言語の本は初めてでそれなりに興味深かったのですが、女性コミック調の話の展開は苦手です。話が突如、全く別の思い出話に切り替わるという手法は、他の作者(例えば、さだまさし)もよく使うが、私は嫌いです。結論はあまり面白くない本でした。同じ著者の作品でも、嫌いな本と好きな本が混在するというまあいつものパターンでした。

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キネマの神様
原田マハ、文藝春秋、2008年12月

内容(「BOOK」データベースより)
 39歳独身の歩は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、多額の借金が発覚した。ある日、父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることに。“映画の神様”が壊れかけた家族を救う、奇跡の物語。



 この本は面白い。一気に読み切る。たぶん映画好きには今以上に映画が好きになる本でしょう。感動ものでした!
 
 原田作品をもう少し読んでみようと思います。


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まぐだら屋のマリア [読書]

原田マハの3冊目です。

『まぐだら屋のマリア』
原田マハ、幻冬舎、2011年7月

内容詳細
東京・神楽坂の老舗料亭「吟遊」で修業をしていた紫紋は、料亭で起こった偽装事件を機にすべてを失った。料理人としての夢、大切な仲間。そして、後輩・悠太の自殺。逃げ出した紫紋は、人生の終わりの地を求めて彷徨い、尽果というバス停に降り立った…。
 バス停近くの定食屋「まぐだら屋」。様々な傷を負った人間が、集まってくる。左手の薬指がすっぱり切り落とされている謎めいた女性・マリア。母を殺したと駆け込んできた若者。乱暴だが心優しい漁師。そしてマリアの事をひどく憎んでいる老女。人々との関わりを通して、頑なになっていた紫紋の心と体がほどけていくが、それは逃げ続けてきた苦しい現実に向き直る始まりでもあった・・・。生き直す勇気を得る、衝撃の感涙長編。((「BOOK」データベースより)

 『「まぐだら屋」の「マリア」』は聖書の中の「マグダラのマリア」からきたらしい。また紫紋(シモン)に湯田(ユダ)、与羽(ヨハネ)という男性や、丸狐(マルコ)と名乗る青年までもが登場する。となれば「桐江という老女」は、もしかするとキリストでは? しかし幼稚園がキリスト教系だっただけで聖書にまったく馴染みのない私には著者のこれらの命名の意図がまったく理解出来ません。

 今までに読んだのは『総理の夫』と『本日は、お日柄も良く』で、同じような政治物でなんの違和感もなく読めたのですが、今回のは全く異なる話・筋書きなので吃驚。

 心に傷を負った人達が、自死を思い故郷や大切な人から逃げだし、さまよう。最果ての地の食堂での心温かい人々との関わりの中で、行き直す勇気を得て、大切な人の待つ故郷に帰っていくという感動物語で一気に読めます。面白い。
 しかし、なにか話の筋に飛躍が多すぎて現実感がなく読んだあと少し白けました。

 それにしても最も大切な人というのは、誰にとっても母親なんだと・・・!

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『夏が逝く瞬間』

『夏が逝く瞬間』
原田伊織、河出書房新社、2005年3月

 先日読んだ『明治維新という過ちー日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリストー』の印象が強烈だったので、この著者をもっと知りたいと思い読んでみました。

 この本はさらっと何の抵抗もなくあっという間に読了。『明治維新という過ち』のイメージが強すぎて、なんとなく著者の自伝と思い込んでいたのですが、実は中学生と女性教師との純愛フィクションでした。ただ主人公のイメージは著者自身で、1946年生まれ彦根市育ちという設定。
 石田三成の居城だった佐和山、佐和山から仰ぎ見る伊吹山などの描写力は一流です。そしてこの本でも著者に武士道を教えた母親は重要なキャラクターです。

 気持ちよく読めました。著者の人となりを少しだけ理解出来たような気がします。

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