SSブログ

『ブラック・ジャックは遠かった―阪大医学生ふらふら青春記―』 [読書]

『ブラック・ジャックは遠かった―阪大医学生ふらふら青春記―』
久坂部羊、新潮文庫、2016年2月

 最近、図書館で必ず探すのは「原田マハ」と「久坂部羊」、未読の本が見つかれば各1冊づつ借りている。今、原田マハの『翔ぶ女』と久坂部羊の『第五番』を借りている。どちらも面白かったのですが、感想を書く気分にはならない。

 偶々、本屋で『ブラック・ジャックは遠かった―阪大医学生ふらふら青春記―』を見つけ買ってしまった。
 久坂部はTNより一回り若いが(1955生)、大阪で生まれ育ち、大阪大学医学部卒なので育ってきた環境が近いと前から感じていたのでその青春記を読みたくなったのかな。

 高校時代から小説家になりたかったらしい。親に「小説家になりたいので文学部に行きたい」というと「そんなところに行っても食べられへんから、とりあえず医者になっとけ」「医者になってからやったら、いくらでも好きなことができるから」と言われたという。大阪の開業医一家らしいやりとりに呆れます。そしてYMCA予備校(阪大生にとっては馴染みの名門予備校)を経て阪大医学部に。

(新潮社のHPにある内容紹介)
 手塚治虫の母校、『白い巨塔』の舞台としても知られる大阪大学医学部。アホな医学生にとって、そこは「青い巨塔」だった。個性的すぎる級友たち、さまざまな初体験、しょうもない悩み。やがて解剖実習を体験し、研修医として手術に立ち会うことに。若き日に命の尊厳と医療について悩み、考えたことが作家・久坂部羊(くさかべよう)の原点となった。笑いと深みが絶妙にブレンドされた青春エッセイ!

 TNにとっては興味深く読めましたが、久坂部フアンか大阪育ちの阪大卒でなかったら、久坂部の妻が言うようにまったく面白くないものかもしれないな?と思います。

 阪大にどっぷりつかっている時には何も見えなかったのですが、ちょっと離れてこんな本を読むと阪大気質というか雰囲気がよく見えてきます。久坂部の不良学生ぶりにも特にびっくりすることもなくよく似たタイプの昔の仲間のことを思い出したり、教養部のころの待兼山での生活が思い出されます。

 特に印象に残ったことだけ書き出します。
 
久坂部は絵が好きで自分でも絵を描くらしい。
 行きつけの喫茶店で久坂葉子(芥川賞の候補になったが、二十一歳で阪急六甲で飛び込み自殺した女流作家)が書いた絵を見つけ久坂に強く惹かれる。色々あって久坂葉子のおっかけを続け、その師だった茨木市在住の富士正晴にもコンタクトをとる。その縁で富士が主催する同人誌にも参加する。この話は「久坂部はのめり込んだら一直線」という感じが良く出ていて好きです。
 ここで久坂部羊というペンネームが久坂葉子に由来することと、「久家」(くげ)という本名と母の旧姓「坂部」を合わせたモノと明かす。「羊」は未年生まれからということらしい。

 既読のいくつかの著作から著者の本音かも知れないなと思う考え方について、自伝なら正直に出てくるだろうと期待していた。それは「病院に行かない選択もある」「七十歳以上は病院に行かない方が良い」というような考え方ですが、どうやら本音らしい。面白い医者だなとまた好きになった。

 人を観察するだけでその人の健康状態が分かってしまい、医療による結果や余命まで分かってしまう医者が例えば『第五番』などに登場します。多分、久坂部もそのようなタイプの医者なのだろうと思われます。それは研修医になってからもずっとエリートの医者ではなく、どちらかと言えば患者目線で医療を観察し続けた成果(?)なんだろうなと思います。

 小説としてはなにか尻切れトンボでおわる作品が多い久坂部ですが、この自伝を読んでいままでより更に好きになった感じです。

img348.jpg

小倉昌男 祈りと経営 [読書]

『小倉昌男 祈りと経営
ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』

森 健、小学館、2016年1月

本の内容(小学館のHP http://www.shogakukan.co.jp/books/09379879
「宅急便」の生みの親であり、ビジネス界不朽のロングセラー『小倉昌男 経営学』の著者として知られる名経営者は、現役引退後、私財46億円を投じて「ヤマト福祉財団」を創設、障害者福祉に晩年を捧げた。しかし、なぜ多額の私財を投じたのか、その理由は何も語られていなかった。取材を進めると、小倉は現役時代から「ある問題」で葛藤を抱え、それが福祉事業に乗り出した背景にあったことがわかってきた――。

著者は丹念な取材で、これまで全く描かれてこなかった伝説の経営者の人物像に迫った。驚きのラストまで、息をつかせない展開。第22回小学館ノンフィクション大賞で、賞の歴史上初めて選考委員全員が満点をつけた大賞受賞作。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森 健
1968年1月29日、東京都生まれ。ジャーナリスト。92年に早稲田大学法学部卒業。在学中からライター活動をはじめ、科学雑誌や総合誌の専属記者で活動。96年にフリーランスに。2012年、第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。15年、『小倉昌男 祈りと経営―ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』で第22回小学館ノンフィクション大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 久しぶりのノンフィクション、著者も全く知らなかったのに読みたいと思ったのは毎日新聞(2016年3月6日)の「今週の本棚・本と人」を読んでのことです。そのままコピペします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 誰もが知っている人の、誰も知らない話を書く。評伝の醍醐味(だいごみ)を堪能させてくれる。

 「小倉さんについて書かれた本はたくさんあって、当初は本になるという確信はなかったんです」。主人公は官の規制に挑み「宅急便」を創設。物流革命を遂げた名経営者として知られている。関連書は確かに多い。晩年、障害者福祉にばく大な私財を投じたことも、一部で知られてはいる。「でも、その理由についてハッキリ書かれたものがなかった」。さらに最晩年の行動も謎だ。80歳の高齢に加え病気を抱えてなおアメリカに渡り、そこで永眠した。「なぜそこまでして渡米したのか」という疑問が残った。また小倉をよく知る人たちに取材すると「(それまで小倉を書いた本は)ちょっと違うんだよね」といった感想を聞いた。「語られていない言葉、書かれていない事実がある」と確信を持った。

 北海道、静岡、新潟。そしてアメリカ。行くべき場所に行く。会うべき人に会う。基本だがなおざりにされがちな、ノンフィクションの手順を踏む。ロードムービーをみるようであり、謎に迫っていく過程はミステリーのように読者を引きつける。

 最愛の妻の死。「心臓の発作で急逝」したはずだったが、事実は違った。家庭内のトラブル。他人にはおよそ話しそうにない家庭内の問題が、当の家族の言葉から明らかになっていく。

 東日本大震災のあと、100近い家族に取材。それをもとに発表した『「つなみ」の子どもたち』で2012年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。相手の心を開かせ、尋常な聴き手では引き出せないような話を得る取材力には定評があり、今回も十全に発揮された。第22回小学館ノンフィクション大賞を受賞。選考委員5人の満場一致、しかも全員満点と前代未聞の評価を得た。

 「『つなみ』は子どもたちがもらった賞。今度は自分が、という気持ちはありました」。出版冬の時代と言われて久しい。ことにノンフィクションは氷河期のように冷たく、暗い。しかし熱を発する確かな光源があることを、本作で教えてくれた。<文と写真・栗原俊雄>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 期待したとおりの素晴らしい本でした。

 佐川急便は違法営業の摘発を逃れるため金丸信に多額の献金をしていたが、クロネコヤマトは政治家は使わず行政訴訟をしてまで官僚と闘ってきた、というような事柄が素直に納得出来る。ただ小倉が「宅急便」のシステムを作り上げる動機の一つに佐川急便の「飛脚の精神」があったことなど面白いなと思う。
 宅急便のシステムを完成させ大成功した実業家が引退した後、福祉事業にのめり込む、小倉のその動機を探るのが本書の主題だった。
 多数の関係者に取材し、最愛の妻、娘がいわゆる「鬱病」であったことを明らかにしている。読むのがつらい。それでも最後まで読まされる。敬虔なカトリック信者が自殺にまで追い込まれる苦悩、80歳になって死を見据えての渡米。あまりに多くのことを考えさせられ読後感が重い。

img336.jpg

久坂部 羊の『悪医』 [読書]

『悪医』
久坂部 羊、朝日新聞出版、2013年11月7日

朝日新聞出版のHP(http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15403

 現役の医師でもあり作家でもある著者が、満を持して取り組んだ「悪い医者とは?」を問いかける感動の医療長編小説。
 がん治療の拠点病院で、52歳の胃がん患者の小仲辰郎はがんが再発したあと、外科医の森川良生医師より「これ以上、治療の余地がありません」と告げられた。「私にすれば、死ねと言われたのも同然」と、小仲は衝撃のあまり診察室を飛び出す。
 小仲は大学病院でのセカンドオピニオンを断られ、抗がん剤を専門とする腫瘍内科、免疫細胞療法のクリニック、そしてホスピスへ。それぞれの場所で小仲はどんな医師と出会うのか。
 一方、森川は現在の医療体制のもと、患者同士のいさかい、診療での「えこひいき」問題など忙殺されるなか、診療を中断した小仲のことを忘れることができず、末期がん患者にどのように対したらよいのか思い悩む日々がつづく。
 患者と医師の間の溝ははたして埋められるのか。がん治療に対する医師の本音と患者の希望は軋轢を生み、物語は運命のラストへと向かう。ひくにひけない命という一線を、患者と医師双方の切迫した事情が迫真のドラマを生み出す問題作。


 第3回 日本医療小説大賞受賞作だって。
 久坂部の本に慣れてきたためか読みやすいし、内容も上の紹介文通りで単純明快で、どう結論を持ってくるのかなという期待感だけで読み進められる。しかし、結末はいつもの久坂部でなんか極めて常識的なものでした。

 昨日、震度7の熊本地震が発生し、今日はそのニュースばかり。不意打ちの天災で奪われる命、癌で奪われる命などいろいろ考え、自分の死に方はどうなのだろうと。少なくとも癌で余命宣告されたら、たぶん無治療を選びたいと今は思っている。

img333.jpg

まぐだら屋のマリア [読書]

原田マハの3冊目です。

『まぐだら屋のマリア』
原田マハ、幻冬舎、2011年7月

内容詳細
東京・神楽坂の老舗料亭「吟遊」で修業をしていた紫紋は、料亭で起こった偽装事件を機にすべてを失った。料理人としての夢、大切な仲間。そして、後輩・悠太の自殺。逃げ出した紫紋は、人生の終わりの地を求めて彷徨い、尽果というバス停に降り立った…。
 バス停近くの定食屋「まぐだら屋」。様々な傷を負った人間が、集まってくる。左手の薬指がすっぱり切り落とされている謎めいた女性・マリア。母を殺したと駆け込んできた若者。乱暴だが心優しい漁師。そしてマリアの事をひどく憎んでいる老女。人々との関わりを通して、頑なになっていた紫紋の心と体がほどけていくが、それは逃げ続けてきた苦しい現実に向き直る始まりでもあった・・・。生き直す勇気を得る、衝撃の感涙長編。((「BOOK」データベースより)

 『「まぐだら屋」の「マリア」』は聖書の中の「マグダラのマリア」からきたらしい。また紫紋(シモン)に湯田(ユダ)、与羽(ヨハネ)という男性や、丸狐(マルコ)と名乗る青年までもが登場する。となれば「桐江という老女」は、もしかするとキリストでは? しかし幼稚園がキリスト教系だっただけで聖書にまったく馴染みのない私には著者のこれらの命名の意図がまったく理解出来ません。

 今までに読んだのは『総理の夫』と『本日は、お日柄も良く』で、同じような政治物でなんの違和感もなく読めたのですが、今回のは全く異なる話・筋書きなので吃驚。

 心に傷を負った人達が、自死を思い故郷や大切な人から逃げだし、さまよう。最果ての地の食堂での心温かい人々との関わりの中で、行き直す勇気を得て、大切な人の待つ故郷に帰っていくという感動物語で一気に読めます。面白い。
 しかし、なにか話の筋に飛躍が多すぎて現実感がなく読んだあと少し白けました。

 それにしても最も大切な人というのは、誰にとっても母親なんだと・・・!

img325.jpg


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。